住職が語る本当の水子供養、あの世からの水子たちの叫び
水子とは死産、流産で生まれてくることができなかった子供たち。そして中絶という親の勝手で、この世に生まれて来れなかった子供たちのことをいう。
この水子の霊障、祟りは本当にあるのでしょうか。
答えはYES。あるのです。
あくまでも本当の供養というものをしていない場合に限り、水子たちは霊障や祟りを起こしてきます。
何故、水子たちは霊障、祟りというものを起こしてくるのか。その真実をお伝えします。そして、とある寺院のご住職が語る「本当の水子供養」その真実を音声にてご用意してあります。
その内容は常識を覆し、心ある者には涙を流させるものとなるでしょう。「お寺では、本当の水子供養はできない。それは、商売でやっているから...」「お寺で水子供養するのは、もうひとつの過ちを犯しに行く」と語っております。
それはいったい何を意味するのか。本当の水子供養というものを是非とも知っていただきたく思います。いや、知らなければいけない真実と言っておきましょう。
そして私自身の経験。本当はあまり言いたくはないのですが、私には両手でも足りない水子たちがいます。どれだけ鬼畜な人間だったかが想像つくと思います。
その水子たちは私の目の前に現れ、恐ろしい形相で「祟り」というものを起こしてきました。まず初めに、そのお話をしたいと思います。
【 祟り 】≫ 姿を現わした、わたしの水子たち
これからお話する不思議な出来事は、私が三十六歳のときに起きたのでした。その頃は良く言えば事業も遊びも絶好調のときで、悪く言えば人間として最低な時期だったと言うべきでしょう。
贅沢三昧で夜な夜な繁華街へと繰り出し飲み歩き、私利私欲の人生を送っておりました。そんな日々のある日の夏の夜、ベットで横になっていると急に寒気が襲ってきたのでした。
「んっ、風邪引いたかな...」と思うや一瞬にして身体が震えだし、今までに経験したことのない寒気が私に襲いかかってきたのでした。その時思ったのが。
「やばい...何これ。死ぬかも」
寒すぎてカタカタと震えが止まらず、本当に死ぬと思った私はまず、風呂に熱い湯を張りました。数分間、震えながら我慢して身体が浸かるくらいまでの湯が張ると同時に湯船に飛び込みました。が、何ひとつ熱いとか温かいを感じることができなかったのでした。
「やばい。本当に死んじゃう。なんで。どうして。最近は悪いこともしてないのに、なんでこんなことになるんだ」と涙が出てきて本当に死ぬと思った、その時...
目の前に子供たちが現れたのでした...
一番前の真ん中にいる男の子の目はつり上がり、それはそれは恐ろしい形相で私を睨んでいたのでした。歳の頃は十代後半といったところでしょう。
男の子の周りには保育園から高校生くらいの子供たちが大勢立ちすくし、幼い子を抱いている女の子も三人いました。
そして真ん中の男の子以外の顔には、目も鼻も口もなかったのでした。数こそ正確に数えてはいないが10人以上いました。女の子のほうが多かったのも覚えている。
私は、すぐに分かりました。
“ 自分の子供たち。水子たちだと... ”
「本当にごめん!そうだよね、君たちのことを忘れていたよ。本当にごめん。どうか許してくれ。これからは君たちのことは毎日思い、毎日手を合わせる。どうか許してくれ!本当に、ごめん!」
そう言った瞬間、彼たちはすぅーっと消えて私は震えが止まり、寒気がなくなったのでした。これが「祟り」というものなのだろう...
私が初めて、彼女に中絶していただいたのは十八歳のときでした。真ん中にいた男の子は、その当時の私と同じくらい。水子たちは成長しているのです。この世の子供たちと同じスピードで。
過去にもこの出来事の他に二度、この男の子が出てきたことはあるのですが、もっと小さくてこのような祟りみたいなことはしたことがなかったのでした。
当時、私がこの三十六歳くらいのときは1番女遊びも激しく、鬼畜としか言いようがない人間でした。流石に「親父、いい加減にしろよ。俺たちのことも忘れやがって。見ろよ。こんなにいるんだぞ」と伝えるのに現れたのでしょう。
お寺で水子供養をしたことはないのですが、それからというもの毎日子供たちのことを思い、線香をあげ、手を合わせています。そして罪の意識もあり、父がいない友人たちの子供を我が子のように接し、遊んであげたりするよう心がけています。
たまにですが辛いとき。女の子の声で「お父さん、頑張って!」と聞こえるときがあります。ありがとう。そして生んであげれなくてごめん。私も死を迎えたときは、胸を張ってこの子供たちと逢えるように徳を積み、生きている現在でした。
水子たちの霊障 / 祟りとは...
水子の霊障・祟りというものはあって当然です。断言いたしましょう。それは、自分たちの存在を “お母さん” “お父さん” に分かってもらいたいがために起こしているのですから...
こうでもしないと僕のこと
私のこと...忘れてるよね。
気が付いてよ!!
振り向いてよ!!
お母さん!!
お父さん!!
こんなこと! したくないよ!!
霊界という別世界から「水子たちは叫びながら」水子のことを忘れて生きている親に、気付いてくれという思いで霊障、祟りというものを起こしてきます。
もし、実際の子供が親にかまってもらえなければどうしますか。泣きます。叫びます。暴れます。何かしらアピールをしてきます。それと同じです。
しかし、水子たちが泣こうが叫ぼうが私たちには何も聞こえません。よって、水子たちが悪事をしなければ気付かないのです。悪いことをして自分の存在を伝えるしか方法がないのです。それこそが霊障・祟りなのです。
仮に悪いことではなく、良いことをしてくれたら水子がしてくれたと思うでしょうか。急に水子を思い出して、思わないでしょう。
霊障だ、祟りだなんていうのは、水子が気付いてくれ!と叫んでいるだけで恐いものではないのです。なんの汚れもない子供が只、悪いことをする訳がないのです。
しかし忘れてはならないのが私の前に現れた水子のように、水子、子供の霊といえども私たち人間を殺すことや病気にさせることなど、訳ないことだということです。
嘘のような話ですが、本当に私の身体からは体温がなくなり、カタカタと震えていたのです。思い出しただけでも本当にゾッとします。
そして、私たち親に霊障、祟りを起こしてくるのはまだいいでしょう。現世の実際の子供に霊障、祟りを起こしてくる場合があります。その行為は嫉妬、ヤキモチという言葉が適当でありましょう。
自分のことは忘れられているのに、現世の子供が幸せそうであれば、そういった行為に出ても仕方がないでしょう。子供の当たり前の行動です。
過去に中絶経験があったり水子がいる方で、病気に悩まされている、子供が病気になる、よく怪我をする、いじめにあう、なんてときは水子のことも考えてみるべきでしょう。毎日、あの世の子供に手を合わせたら治ったなんてことも、ないとは言い切れません。
水子たちは本当に生きています。違う世界で、別世界で、霊界という世界で。同じように歳も重ね、身体も成長しながら、この世の、現世の子供たちと同じように、生きているのです。
あの世という世界で。
親に分かってもらいたいと叫びながら...
真の住職が語る / 偽りなき真実 / 本当の供養
それでは、本当の水子供養のお話を下記のYouTubeにて聞いていただければと思います。このお話、先程の水子たちが現れたときに知人に教えてもらい保存しておいたものです。今から15年程前のものです。
この住職の言っている内容はとても衝撃的すぎる内容であり、正にその通りだと納得するしかない内容になっております。今となっては、どちらのご住職様のお話なのかも分からなくなってしまいましたが、このお話の内容は永遠に残しておかなければならない真実でありましょう。
長い内容ですが中絶経験のある方や水子さんがいる方は絶対に聞いていただきたいと思います。
※信じられないかもしれませんが、私たち人間は肉体、霊体、霊魂の3つが重なり、私たち人間になっているということを頭に置いて聞いていただきたく思います。 我々人間は、肉体という身体に宿った【霊】なのです。
もはや、これを聞いて涙した者には言葉はいらないでしょう。自身が光輝く存在となり、子供たちを自身で供養できるようになれることを心から祈っております。
古代の高級霊、シルバーバーチから
私の愛読書「シルバーバーチの霊訓」からの引用です。シルバーバーチとは、現代の人々にダイヤモンドの輝きと言われるメッセージを送った、大昔に地上に存在した古代の高級霊です。
シルバーバーチ高級霊も中絶したところで胎児の霊は宿る肉体が滅びただけで死ぬことはなく、霊界で普通に成長していると語っております。その胎児の霊の親は...中絶をした私、そして貴方です。
中絶はどの段階からいけないことになるのでしょうか。
中絶行為をしたその瞬間からです。
妊娠してすぐでもいけないのでしょうか。
とにかく中絶の行為がなされた瞬間から、それは間違いを犯したことになります。中絶は殺人と同じです。妊娠の瞬間から霊はその女性の子宮に宿っております。中絶されればその霊は、たとえ未熟でも霊的身体に宿って生き、成長しなければなりません。
中絶によって物的表現の媒体を無きものにすることはできても、それに宿っていた霊は滅んでいないのです。霊的胎児のせっかくの自然の成長を阻止したことになるのです。
もっとも、これも動機次第で事情が違ってきます。常に動機というものが考慮されるのです。私の住む世界の高級霊で人工中絶を支持している霊を私は一人も知りません。
が、動機を考慮しなければならない特殊な条件というものが必ずあるものです。行為そのものは絶対にいけないことなのですが・・・・・
中絶を行っている人たちが、中絶は単に物質を無きものにしたことで済んだ問題ではないこと。また、いつの日かその人たちは中絶行為のために地上に誕生できなかった霊と対面させられることになるという事実を知れば、そうした行為はずっと少なくなるものと私は考えております。
妊娠の瞬間からそこに一個の霊としての誕生があり、それは決して死ぬことなく、こちらの世界で成長を続けるのです。
私の大好きなシルバーバーチ高級霊も、私たち自身がこの世のタイムリミットを迎え肉体が滅び、別世界へと旅立つと、必ずや中絶した子供と逢わなければならないと言っております。胸を張って逢うことができるようになるには、これからの私、そして貴方次第です。
親に逢えるのを待ち望んでいる日〔 お盆 〕
お寺で水子供養をしていただいた場合は、是非とも「お盆」に我が子を迎えに行っていただきたいと思います。
数年前の不思議なお話になります。お盆が始まる数日前の朝、お寺でお経をあげていると地蔵菩薩が持つ錫杖のシャリンシャリンという音が聞こえた後、地下の地蔵堂という水子の塔婆や位牌が置いてある場所から「キャーキャー」「ワーヮー」と子供たちが大勢、遊んでいる声が聞こえるのでした。
「んっ?こんな早い時間に子供がいると?」と思い、地下へ行ってみたが子供たちは見当たらない。しかし、子供たちが私を見ている視線は感じる。何故、お盆前に子供たちがいるのだろうと思い調べてみました。
※私は霊の声が聞こえるときがあります。いつも聞こえたり見えたりする、すごい人ではございません。
知っている方もいると思いますが、「七日盆」という言葉がありました。本当は7日からがお盆の始まりであって、7日から先祖や故人、水子たちは現世に戻ってこれるとのことです。
東京など関東圏の一部では7月7日、私の住む北海道では8月7日からがお盆ということなのです。江戸時代までは、七夕は先祖迎えの日であったということも分かりました。
ここで、お盆のお墓参りについてお話したいと思います。もちろん知っている方は大勢いるとは思いますが、お盆のお墓参りというのは先祖、故人、水子を「お墓に迎えに行く」というのが本来の儀式になります。手を合わせに行く、お墓まで会いに行くというものではないのです。
私の周りや世間では15日にお墓参りに行く、お盆過ぎに遅れて行くという方が結構いらっしゃいます。意味がないとは言いません。行かないよりは良いでしょう。
しかし、できることなら7日から13日の間に先祖、故人、水子を迎えに行くという考えで行っていただきたいと思います。それが、本来のお盆のお墓参りの姿になります。
また、昔は正月も先祖たちは現世に戻って来れるとも伝わっておりました。お正月も先祖や故人たちは戻ってきていると思えば、なお楽しいお正月を迎えられるのではないでしょうか。
是非とも、お盆始めの7日から13日の間に水子供養をしたお寺に我が子を迎えに行ってほしいと思います。
Afterword
今回この記事を読んで、そしてご住職のお話を聴いて色々と考えさせられたと思います。お寺で水子供養をしていただくというのは決して悪いことではありません。供養をしていただいて気持ちが楽になるのであれば、それは素晴らしいことだと思います。
しかし、水子供養をしたからといって全てをそれで終わらせてはいけないということです。自分自身が光り輝く存在、素晴らしい人間。そして生きながらにして仏に近い人間、仏となる「即身成仏」になることが本当の水子供養なのでしょう。
水子は...
本当の人間としての
生き方を教えるために
貴方に...
お付き合いした女性に...
宿ったのかもしれません。
一時的に...
生まれることが
できないのを知っていて...
光り輝く存在となり、あの世で「お母さん、お父さん頑張ってるな」「お母さん、すごいな」「お父さん、すごいな」と思わせることが、この世に生まれることができなかった子供への供養。償いなのだと私は思います。
また、現世の子供のようにに毎日思い出してあげたり、お線香をあげて手を合わせてあげてください。いたずらをしないように...
雲の上からお母さん、お父さんを見守っています。
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光り輝く存在
即身成仏とは