苦しみ、悲しみの原因と真実
PART Ⅱ【軌道修正編】
今回の「苦しみ、悲しみの原因と真実」では、因果応報とは考えずらい不幸。要は、正しい生き方をしているのに苦しみや悲しみが生じる真実をお伝えしていきます。
「人様に迷惑や悪いことを絶対にしていない」
「不幸になる理由がまったく考えられない」
「それなのに、どうしてこんな悲惨な目に...」
そんな経験がある人、そう思ってここへ辿り着いた方もいるかもしれません。
その真実は
・私たちが間違えた方向に進んでいる時に。
・進むべき道に修正させるために。
・災いを回避させるために。
・私たちを今よりも成長させるために。
やむを得ず、苦しみ、悲しみ、不幸を貴方に与えている場合があるのです。
貴方の人生を軌道修正
今現在は、「不幸だ」「不運だ」と思っていることでも数ヶ月、数年という長い月日が経ってみると
「あの時は、なぜと思ったけどこれで良かった」
「あの不幸があったから、今の自分がある」
「あの苦しみがなければ、こうなっていなかった」
というような感じの出来事があります。正にそれは、正しい道へと歩ませるために、私たちをもっと成長させるために、起きている出来事なのであります。
その出来事は、自然の摂理・大宇宙の真理で起きることもあれば、先祖や守護霊、もしくは信仰している神仏によって起きている出来事の時もあるでしょう。
これらの大型船の画像のように、沈没するような嵐に遭わせ、目的地を変更させ、確実に行かなくてはならない目的地へと進ませるために...
簡単な例を数点あげてみましょう。
大好きだった彼氏、彼女との別れ
貴方には、もっと良い人との出会いがあるのでしょう。貴方には、最良の人ではなかったということです。
職場での辞めたくなる苦痛やクビ
貴方がやるべき仕事ではないのでしょう。次の転職先こそが貴方のやるべき仕事なのかもしれません。
プロ選手を目指していたが病気や怪我で断念
貴方が進むべき道ではなく、違う使命があるのでしょう。悔しいですが、違うことをするために生まれてきたと考えてください。
いじめ
貴方に本当の優しさを教えるために。貴方を強くするために起きているのかもしれない。逃げちゃ駄目だ。立ち向かうんだ。小学生の頃、転校生だった私がそうだ。
本当に簡単な例で書きましたが、もっともっと沢山の軌道修正させる出来事があると思います。
強い信仰心、キリスト、仏教を信心している方であれば、神仏が自分のためにしてくれていると思えるかもしれません。
そのような支えがなければ厳しい現実かもしれません。しかし、自分を信じて良い方向に考え、現実を受け止めていただきたいです。全て自分のために起きている出来事なのだと。
決して投げやりな気持ちになったり、ずっと落ち込むことのないように。全ては自分が成長するために、もっと良い生活ができるために、進むべき道に進ませるために起きていると心から信じてください。
PART Ⅰ でも説明した通り、因果応報ですら人間を成長・進化させるために起きています。全ては我々の成長・進化のためです。
正しい生き方をし、人様に迷惑も悪業もしない人が何を恐れましょう。恐れるものは何もありません。自分を信じてください。
数ヵ月後、数年後、これで良かったと思える日が必ず、やってきます。あの苦しみ、悲しみがあったからこそ、この「サンクチュアリ」に辿り着いたと。
それが、自然の摂理・大宇宙の真理、法則です。
誓鋼の体験記【軌道修正編】
自分の人生を良い方向に導くために、苦しみ、悲しみなどの不幸が起きているとはいっても、不幸の最中にいるときはそう思えないのが現実だと思います。
実際に私自身も不幸の最中、札幌の有名な占い師「源先生」という方に、そのような助言をいただいたのですが、全くもって信じられませんでした。
この件は後ほど詳しく書きますが、まずは私の経験と知人の経験をお伝えいたします。
これらの出来事を参考にして「全て、わたしのために起きている。いつか絶対、これで良かったと言える日が来るんだ」と自分を信じていただければと思います。
突然のクビからの成功
私の知人でパチンコ等の設置、工事をする会社の社長がいます。その社長は、とある宗教に属していて、とても真面目で、宗教活動もして、とても面倒見が良く、知り合った当初からとても素晴らしい人間でした。
そんな素晴らしい社長の過去のお話は、正に今回の件にピッタリなのでございます。
その社長はもともと、同じ業種のパチンコ関係の会社に社員として勤めていたのですが、あるとき突然クビになったというのです。クビになった理由も分からず、あまりにも突然すぎて
「悪いこともしていないのに、どうして俺がクビなんだ。どうして、こんなことが起きるんだ。家族もいるのに、これからどうすればいいんだ」
と落ち込み、自分自身おかしくなる寸前だったという。ですが後に、友人の協力で自分の会社を設立することになり、順調に業績を伸ばし、以前よりも豊かになり現在に至るというのです。
そして以前、勤めていた会社はといいますと。クビになった1年後に、不祥事が原因で急に倒産してしまったという。
「あの時、急にクビなっていなかったら路頭に迷っていたし、今の自分はないよ。あの時はどうして、と思ったけどクビなって本当に良かった」
と言っていました。やはり、真面目に生きてきた人間は幸せになれるんだなと実感したお話でした。
わたしの因果応報と軌道修正
私は若い頃から仕事も事業も順調で、いつも贅沢三昧、私利私欲の人生を歩んでおりました。ところが、私が37才の時。リーマンショックにて、人生が一変したのでありました。
事業は赤字経営になり、借金地獄に陥り、急に地獄へと落とされたような生活になり自殺を実行する寸前までいきました。恐くて実行できませんでしたが...
人様に迷惑をかけ、自分勝手に生きてきた因業応報も、もちろんあるのですが「なぜ、俺がこんなことになるんだ」と、おかしくなりました。しかし数年後、あんなことがあって本当に良かったと思える自分がいました。
その不運な出来事から三年後。父が他界した。
贅沢な暮らしをして実家にも寄り付かずの生活だったが、その不運な出来事からは自分自身何かが変わり、何かと実家に顔を出すようになっていた。
そのおかげで、親父と旅行も行けた。飯も一緒に喰った。墓参りも一緒に行ったな。ガキの時の話もできたな。素直な子供の時に戻れて、最高な思い出を作ることができたんだよな。これが。三年間だけだけど。今でも泣ける...
心から 不運よ。ありがとーう!!
親父の件以外にも、自分自身が変われることができたのです。改心しまして。自殺もしなくて済んだし、今まで人様に悪いことばかりしてきたんだから、残りの人生は人のために生きてみようと。全ては、そこから始まりました...
驚異の占い師 源先生
ここで先ほどの占い師「源先生」のことを書いておきましょう。正にこの不運の最中の自殺を考えている時に見てもらったのですが、なんと。
「あははははっ(大笑)これらの出来事は全て、得地さんを変えるために起きてるんですよ。借金もちゃんと返せることになってますから!!」
と、自殺を考えている私に大笑いで言われたのでした。正直この時、わたしは
「何言ってんだこの人は、サンドウィッチマンかよ。大笑いしやがって。俺を変えるためってなによ。大体に知人だけでも1千万近い借金、どうやったら返せるって」
と心の中で叫んでいたのでした。しかし数ヶ月後、この源先生の言っていたことが当たった。流石である。流石、部屋の冷蔵庫の位置、テレビの位置も明確に当てるだけのことはある。
それにしても『全て仕組まれていた。私を変えるために』まるでアニメの世界だ。初号機にでも乗りたい気分である。
この源先生。現在では数年先まで予約が入っていて、鑑定は難しいとの噂であったが、知人が電話を入れてみると数日後に鑑定して貰うことができました。
寺へ通わせるための計画
今現在わたしは、札幌市内の2箇所の寺院に行っています。これらの寺院に通うようになったのも、全て計画通りにされていたと言っても過言ではないでしょう。全ては「不運」からの始まりでありました。
まずは繁華街ススキノの外れにある「成田山札幌別院新栄寺」こちらは、千葉県成田市にある、あの有名な成田山の別院であります。
当時、わたしは不幸のどん底であった41才の時でした。自分で配送関係の仕事をしていたのですが、仕事で使っていた車が急に故障したのです。エンジンを乗せ変えるまでの最悪な故障です。
「もう、あかん。直す金もねーよ。最近は悪いこともしてないのに、まだ罰が当たるのかよ...」
と貧乏だった私は朦朧として、気が付けば前から気になっていた新栄寺に来ていた。初めて新栄寺の門をくぐったのは、この時でした。新栄寺の寺院内の神秘さに心から感動し、護摩行を初めて見た私は
「不運を変えるには、ここに毎日来て共にお経をあげ、修行をするしかない」
と思ったのでありました。なぜ、そう思ったのかは分からないが、ここが私の求めていた所に感じたのです。
私の仕事は朝方に終わるのですが、終わってから本当に毎日通い、護摩行に参加し、全ての仏様に手を合わせて帰るというのが日課になりました。
そしてこの寺では本当に素晴らしい人たちとの出会いがあり、無知な私に真言宗、不動明王の素晴らしさを教えてくれる人たち。そして霊能者の方々とも出会いがあった。
学ぶべきことを学ぶこともでき、運気も少しずつ変わっていき、仕事も倍以上忙しくなり、壊れた車の修理代もあっという間に返済できたのでありました。
父が他界したのも、新栄寺に通って3ヶ月後の時だったのです。その時に、この世のものとは思えない摩訶不思議な体験をさせられ、不動明王や仏様は実在するというのを実感させられた次第なのでした。
これらの出来事は、いずれブログに書かせていただきます。「愛する親、愛する者にできる最後の親孝行と愛のお話です」
これらの体験をさせるため、基礎を学ばせるために、この新栄寺に私は導かれたと感じております。全ては計画通りに。
続いて、札幌市清田区にある「高野山真言宗成田山真如院」という寺院のお話です。この寺院に通ったのは、私が厄年の真っ最中。42才の時です。
10年以上も交通事故というものを起こしていなかった私ですが、ちょっとした不注意からタクシーに後ろから激突。オカマというやつです。
「ツイてねーぜ。最悪だ。本当に恐いわ厄年」
厄払いというものをしたことがなかったのですが、流石に行ってみるかと思い、ネットで調べて、ここだと思ったのが真如院。
丁度良く、事故を起こした数日後にあった厄払い法要に出向いたのですが、「厄払いをするのであれば、ここの厄払い法要です!」というくらい素晴らしいのです。確実に厄が落ちる感じがいたします。
その後、親切な高山住職と親しくさせていただき、色々なことを学ばせていただいたり、体験させていただきました。
僧侶となる儀式「得度」をうけたのもここ、真如院なのです。そして、ここでの護摩行の最中、拳ほどの火の粉が私の左胸に飛び込んできたのでありました。着ていたシャツも燃えていたので慌てて手で消したのですが、ふとよく見ると焦げてもいなかったのです。
冗談を書いている訳でも、薬物中毒でもない。私のなかでは「結縁」という儀式が行われたと思っています。それ以降、詳しくは書かないが私の身に変化が起きました。ことが起きたのは不動明王の縁日、忘れもしない12月28日であった。
もう1つ、アンビリバボーな話があります。先ほどの激突した、被害者のタクシー運転手様。わたくしと年齢は同じ。誕生日は1日違い。お住まいはこのお寺、真如院と同じ住所の1丁だけ違うところにお住まいでした。そして数年後、縁あって私はこの被害者様のタクシー会社に勤めることとなった。
正に仕組まれていたとしか思えない、これらの出来事。私を真如院という寺院に導くために、交通事故という不運に遭わせたとしか思えないのであります。
最後に〔軌道修正編〕
少々、わたくしの体験記が長くなってしまいましたが、いかがだったでしょうか。人間は常に成長・進化するために生きております。
因果応報で苦しみや悲しみが起きるのも、成長・進化するためです。人様に悪業や迷惑なこともしないで正しい生き方をしていれば、なにも心配はいりません。
全ては貴方を、行くべき道へと向かわせるための不幸、苦しみ、悲しみなのです。数ヵ月後、数年後には必ず、あんなことがあって本当に良かったと思える日が来るでしょう。
愛する者の死。それは、この世で一番辛い出来事だと思います。辛く、悲しく、とてつもない苦しみだと思います。私も経験者です。
しかし、愛する者の死も何か理由があるものと思います。残された者に、何かを考えさせるためには、そこがベストな時だったのでしょう。
死なない人間はひとりもいません。
そのことを、お忘れなく。
死という人生の一大事。愛する者の死は、貴方に何を訴えかけ、何を言わんとして別れを必要としたのか、心を落ち着かせ考えてみてください。
「分かってくれて、ありがとう」と微笑んでいます。
別世界から。