苦しみ、悲しみの原因と真実
PART Ⅰ 【因果応報編】
人間、生きていれば苦しみや悲しみというものが必ず身に起きます。一見、無意味で単なる不幸と思われるこれらの出来事は、私たちを成長させるために起きているという。それは、ただの偶然でもなく、寸分の狂いもなく、全て計画通り、法則通りに起きているという。
この苦しみ、悲しみが生じる原因には何点かございます。欲にいう因果応報、そして貴方を正しい道へと歩ませるために起きる不幸。最後は、自分で罪と思っていないことからの因果応報です。厳しいことを言うかもしれませんが、不倫も立派な罪なのです。
これらのことを少々長くなりますが、PART1.2.3と3回に分けて解析していきたいと思います。まず今回は、因果応報についての解析をしていきます。
因果応報・罰が当たる・ブーメランの法則
「なぜ、こんな不幸が自分に!!?」
「なぜ、こんなことが起きるんだ!!?」
「どうして私だけ、こんな目に遭うの!!?」
と、不幸や苦しみ、悲しみに遭うことがあります。
まずは目を閉じて考えていただきたい。
同じようなことを他人に
したことがあるかもしれない。
同じようなことをして他人を
傷つけたかもしれない。
他人にした悪いことは、もちろん。何気なくやっていたことが他人には、とても迷惑だったり、とても傷ついてることもあります。
何処と無く、起きてしまった不幸や苦しみ、悲しみに繋がっていたり、過去に他人にした行為で、同じような接点があるかもしれません。これが因果応報、ブーメランの法則です。
この因果応報とは、数日前に他人にしたことはもちろん。数ヶ月前、数年前、数十年前ということも当たり前にあります。
他人にしたことは、全て自分に返ってくるのです。全てです。他人に悪いこと、悪業をすると必ず、いつか自分自身に返ってきます。それは絶対に逃れること、逃げ切ることはできないのです。サイレンスズカに騎乗したとしても無理なのです。
どんなことをしても無駄です。神に祈ろうが、お願いしても無駄です。南無妙法蓮華経と何万回唱えても絶対にブーメランは戻ってきます。
それが、この世のルール。法則。自然の摂理。大宇宙の法則なのです。「そんな馬鹿な...」と思うでしょうが、真実なのです。この法則は、あの仏教の開祖、ブッダこと釈迦の悟りの一部でもあるのです。
そして、この法則。面白いことに「他人様に良いことをしたら、善いことが返ってきます」 それが、この大宇宙の法則なのです。
私の愛読書、「シルバー・バーチの霊訓」という書籍があります。その中で、古代の高級霊、シルバー・バーチが言います。
「蒔いた種は、自分で刈り取れ」
「サービスには、サービスで返す」
私の大好きな言葉です。
そしてこの因果応報、「過去の罰が当たった」「ブーメランが戻ってきたぜ」で終わりではない。因果応報の奥深くにあるものは、そこから罪を反省し人間としての精神の成長をさせるための最終目的が存在いたします。
反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないように。罪や悪業を反省させ、精神、そして魂の向上、進化を目的としています。
それもまた、この世のシステム、自然の摂理、大宇宙の法則なのです。この地球という星は46億年前に誕生して、常に進化をして今に至る。それは物事だではなく、人間も精神と魂の成長、進化をしなければいけないことを物語っている。
この星の水、空気、草木、動物、昆虫、全てのものは共存共栄で成り立っていて、生きものは常に進化をしています。人間もまた、進化をしなければいけない。魂の進化を。
悪業、罪などは、この地球では滅びに値することを悟らせるための因果応報といっても過言ではないでしょう。ひとりの人間が、他人様に迷惑をかけ、好きなことをして生きていても何も意味がない、生存価値がないことを悟らすための因果応報であります。
これこそが【苦しみ、悲しみの真実・因果応報編】であります。我々人間を成長・進化させるために因果応報、ブーメランの法則は存在すると、覚えておいていただければと思います。
他人様に悪いこと、迷惑なこと、苦しむこと、悲しむことをしなければ、自身に苦しみ、悲しみは生じない。これもまた釈迦の悟りの一部でもあります。
因果応報での苦しみ、悲しみというものは正に、「お前を悟らせるには、今ここしかない!」というタイミングでやってきます。それは数年、数十年後になることもあるでしょう。
我々人間は本当は霊です。この身体の中には、霊の自分が存在いたします。この世に幽霊がいるように、人は死んでも肉体が滅びても。生き続けます...
死んだら「THE END」にはならないのです。肉体が滅びた後は霊体、霊魂となり、本当に生き続けるのです。
そして、この世とは違う世界、霊界ともいう世界で、成長、また成長と、精神と魂の向上進化をしていかなければならない。信じられないことだと思いますが「真実」なのです。
霊的に成長・進化するために、人はこの世に、地球に生まれてきたという.....
誓鋼の体験記 ≫ 因果応報編
私、誓鋼の経験から思うことは。因果応報で自分に返ってくる時は倍以上、およそ3倍位のような気がいたします。私は改心するまで、罪多き人間でした。そうです。たっぷりと、3倍返しの経験があるのです。
私自身の因果応報の数々
・私は若き頃、怪しい金融会社に勤めておりました。返済できないお客様に「金を返すことが、できないなら死ねや!」と毎日のように怒鳴り散らしておりました。
数年後、事業に失敗した私は借金だらけになり、毎日のように「金、返せないなら死ねや!」と言われる日々を過ごしました。
・自分で事業をしていた時、私は毎日のように従業員に怒鳴り散らしておりました。その数年後、事業に失敗して知人の会社に勤めることになったのですが、毎日のように知人に怒鳴られる日々を過ごしました。
・大好きであった彼女との喧嘩の際に、ついつい怒鳴り散らしてしまった私は、呆気なく振られました。イカれている人だと思われたようです。これもまた、他人を怒鳴り散らして生きてきた因果応報でありましょう。
・自分で言うのもなんですが、若い頃は少しモテました。数々の女性を粗末に扱い、ひどい目に遭わせた結果、約10年間という長い期間、女性に縁もなく、彼女もできませんでした。
・金融業や自分で事業をしていた時は金回りがよく、毎日のように飲み歩き、私利私欲のままの生活をしておりました。事業に失敗してからというもの、頑張っても頑張っても、お金が貯まることはなかったのでした。
改心してから7、8年位でしょうか。全てのことが落ち着いてきましたが、それはそれは長い日々でした。
そして私自身、改心して寺に通い、神仏に祈り、修行などもし、できる限り人様に善いことをして生きて7、8年という期間です。
もし何もしなければ、もっともっと長い期間を3倍返しの苦しみ、悲しみを味わう破目になったでしょう。
正に因果応報という出来事
数年前の話です。ちょっとした身近な因果応報的なことがありましたのでお話したいと思います。
とある日、銀行のATMで振込みをしようと思い、お金をATMの入金口に入れました。入金口が閉まると
「係員をお呼びください」!?
昔の大当たり中のパチスロであれば嬉しいが、ここは銀行。どうしたと思いながら係員を呼ぶと若い女性銀行員が現れた。
エラーになったとのことだが、待たされること20分...昔の悪い癖でキレた私は女性銀行員に怒鳴り散らし、振込みもせず、その場を後にした。
今考えると、とても小さな人間だったと思うが、事件はその翌日の夜、繁華街ススキノで起きた。
ススキノ内の細い路地を徐行して走っていると、いきなり後ろの窓が「ドン!」と鳴り、振り返ると酔っ払いの輩というか、ウルフカットの悪そうな奴が窓にパンチをしていた。「何してんねん!!」と車から降りていくと
「あーん、お前がぶつかってきたんだろうが!」と
( ̄◇ ̄;) な..何言ってんだ、こいつ...
そんなこんなで揉めてる最中に、大勢の警察官が登場して「あなたがぶつけたんですよね」と警察も言う始末...最悪です。
1時間位、ウルフと警察を相手に揉め、無事、警察も納得して終了したのですが「なぜ、関係ないのにこんなことに」と思った瞬間。脳裏に浮かびました。
「 関係ない!?・・・ 」
そうなのです。昨日の銀行の出来事は、ATMが悪いのであって女性銀行員は何も悪くない。なのに、あんなに怒鳴り散らしてしまった因果応報だと頭をよぎった。
本当に悪いことをしたなと心から反省をしたのと同時に、あのポンコツに怒鳴り散らすべきだったと後悔したのでありました。
病気の原因は因果応報かもしれない
病気や怪我での苦しみも、何かしらの原因があるときもあるようです。全ての病気や怪我が因果応報ではないですが、時として因果応報を、病気や怪我で苦しませて悟らせることがあるようです。
考えてみると、昔に悪いことをしていた人たちは、病気や怪我で苦しんでいる人が多いですよね。
足の不自由な女性
私が日々通うお寺には、足が悪く松葉杖を使わなければ歩くことができない年配の女性がおりました。
その女性とはお寺でよく会い、会えばお話したり、お茶を一緒に飲んだりしていました。
帰り際、帰るのが大変そうだと思い「車で家まで送ってあげますよ」と言ったのですが、それを聞いていた寺の常連、女性霊能者Tさんに言われたのです。
優しくしすぎたら駄目よ。トクさん。
なるべくしてなったの、あの人は。
あの人はね、数年前までは有名なスキーブランドの社長でね。人を人だと思わず、自分の手足のように人を使ってきたの。
だから、あのように足が不自由になったのよ。程々にしてあげて。あの人のためにならないの。
と、恐い顔をして言われたのでした。優しくすることがいけないとは、なんとも複雑な気持ちになったが 、とりあえず因果応報で足が不自由になったということをお伝えしておきましょう。
わたしの母
母の話になります。近年、常に膝、足腰が痛いと病気が絶えません。
そこで、私が心から信仰、信心している仏の「不動明王」に母の病気を治してもらうよう祈願いたしました。ところが、祈っても祈っても治らないのです。私は問いました。少しキレてです。
「なぜですか!?」
「なぜ、母の病気を治してくれないのですか!!」
すると...
人様を自分の手足のように使った者の足腰を、そうすやすやと治す訳にはいかまい。
他の場所なら治してやる。
と低い声で言われ、私は何も言えなくなったのでした。
わたしの母は、父が生きていたとき、まるで自分の手足のように父を使っていたのです。家にいても父に、あれやって、これやってと四六時中使い放題。 確かに、いくら使っても無料なのですが。
どこかに行くにしても車で送っていけ、迎えに来い。父が疲れていようが、まったくのお構いなしでした。
父は私によくこぼしていました。「思いつきで物事言うから本当に疲れるんだよ」と。そして近所の人たち、他人にも結構そんな感じだったのです。
私からも、「親父もいい歳なんだから、もう少し考えてあげてよ」と言っても全然お構いなしの毎日でした。
そして母に、不動明王にこう言われたから反省してくれと言ったのですが、別に悪いことをしたと思ってない始末で、病状のほうは変化なしの悪いままです。
不動明王の声?と思ったと思います。私は少しだけ耳が変で、霊や神仏の声が聞こえる時があるのです。お寺に通うようになってから聞こえるようになりました。
いつもは聞こえないのですが、大事な時だけ聞こえるという感じでしょうか。信じる人だけ信じていただければと思います。
最後に 〔 因果応報編 〕
因果応報、そしてブーメランの法則。 何度も言いますが「人様にしたことは、必ず自分に返ってきます」悪いことをしていれば、幸せだと思っている最中に急に不幸が襲って来たり、いきなり地獄へと突き落とされる時が必ず来るでしょう。
それが自然の摂理であり、大宇宙の真理。法則でございます。「蒔いた種は、自分で刈り取れ」です。
私の経験で、怪しい金融会社に勤めていた時があったと言いました。金融会社の偉い人、そこで働く人たちは皆といっていいほど、数年後には不幸な人生を歩みました。自殺をした人も数名います。
因果応報から逃れるには、悪業をした倍以上の善行をするしか方法はないでしょう。下がった天秤を元に戻すには、それしか方法がないのです。
私が持っている書籍で、小池龍之介氏、編訳の「超訳 ブッダの言葉」という本があります。文字通り、ブッダの経典を現代風に分かりやすく翻訳したものです。そこから数点、引用させていただいて、この章を終わりしたいと思います。
悪い業のエネルギーを見ない
自分が行動・言葉・思考によってつくる悪い業のエネルギーを軽く考えて、「その報いは、私だけには返ってこない」と錯覚しないように。
ポタポタしたたり落ちるだけの水滴でも、やがては大きな水瓶をいっぱいにする。まさにそのように、悪しきエネルギーは君の心の水瓶にポタリポタリとしたたり落ちて蓄積されて、やがては君の心の水瓶を悪しきエネルギーでいっぱいにする。 法旬経121
悪業の報いを受けるとき
法則を知らない者は、自分の行った悪い行動・悪い言葉・悪い思考によって心に悪い業のエネルギーが刻み込まれても気にかけない。
法則を知らない者は、その悪業のエネルギーがたっぷりグツグツ煮られて熟して、ついにいやな報いを受けるまでのあいだは、「自分は楽しんでいる。甘い汁を吸っている」と妄想していられるだろう。 法旬経69・119
悪い業が熟成するまでの長い時間
フレッシュなミルクが発酵してヨーグルトへと固まってゆくのには時間がかかる。君が悪い業を積み、ネガティブなエネルギーを蓄えたとしても、そのエネルギーが熟し固まってイヤな結果を引き起こすまでには、時限爆弾のごとく時間がかかる。
灰に覆われた残り火がしつこく燻るかのように、悪業のエネルギーは心の中で燻りつづけ、やがて燃え上がって君にダメージを与えるだろう。 法旬経71
一度下がった天秤を、元に戻すことは簡単なことではない。しかしながら、戻らないということは絶対にない。
貴方が改心をしたその日から、次々と起きることにどう対処するのか、試されます。
道端で倒れている人。車が行き交う道路を渡ろうとする盲目の人。足の不自由な人。心底困っている人。次々と貴方の前に現れます。
一歩足を踏み出して進んでください。
わたしも天秤をやっと元に戻したくらいです。共に頑張りましょう。誓鋼